2020年09月
狩場山
恵山登山道整備
啄木さんとペルリさんに会いに…
朝イチ20kmオールドバイクで西部地区までポタリング。
久しぶりにペルリ提督さんにご挨拶してきました(^^)
旧ロシア領事館は何処へゆく?
揺れる旧ロシア領事館は
函館市の怠慢、責任放棄なのか?
あるいは市民団体の無い物ねだり、単なるノスタルジックなのか?
若くして他界した知人の日ロ交流史研究家の清水恵氏(享年45才)は、その
絶筆の著書「函館・ロシアその交流の軌跡」(2005年)の"まえがき"のなかで、
「・・私にとって(函館の国際化について)函館の過去の歴史が魅力的である
ように、後世の函館市民にとって現代の(函館の)歴史が魅力的な「歴史」と
なるような内容であってほしいと思う・・・」と、
いまの有形無形とも(日ロ交流)歴史産物の保存・活用(継承)を訴えてますね。
清水さんはこの旧ロシア領事館を活用した市立道南青年の家へ1982年から職員
で勤務していたことから函館日ロ交流史研究会を起ち上げました。
もし、彼女が存命であったならばこのような経緯にはなっては無かったかもしれ
ませんね・・・何故なら中心的人物として懸命に活用、保存に向け身を粉にして訴えていた
でしょうし、もしかして全財産をも投じてでもそれを成し遂げようとしたでしょう・・・きっとや。
函館市の怠慢、責任放棄なのか?
あるいは市民団体の無い物ねだり、単なるノスタルジックなのか?
若くして他界した知人の日ロ交流史研究家の清水恵氏(享年45才)は、その
絶筆の著書「函館・ロシアその交流の軌跡」(2005年)の"まえがき"のなかで、
「・・私にとって(函館の国際化について)函館の過去の歴史が魅力的である
ように、後世の函館市民にとって現代の(函館の)歴史が魅力的な「歴史」と
なるような内容であってほしいと思う・・・」と、
いまの有形無形とも(日ロ交流)歴史産物の保存・活用(継承)を訴えてますね。
清水さんはこの旧ロシア領事館を活用した市立道南青年の家へ1982年から職員
で勤務していたことから函館日ロ交流史研究会を起ち上げました。
もし、彼女が存命であったならばこのような経緯にはなっては無かったかもしれ
ませんね・・・何故なら中心的人物として懸命に活用、保存に向け身を粉にして訴えていた
でしょうし、もしかして全財産をも投じてでもそれを成し遂げようとしたでしょう・・・きっとや。